岡崎の金魚花火

夏の風物詩花火大会、夏の花火は盛大な打ち上げ花火が次々と打ち上げられるというイメージがあります。が、打ち上げられない花火というものもあります。それが「金魚花火」という花火。

金魚花火の歴史は意外なことに古く、明治元年にこの花火が放たれたとの記録があるそうです。

徳川家康に信仰された菅生天王宮は、永禄9年に社殿を再建、以来歴代の岡崎城主、本多伊勢守家、水野家、松平家、本多中務大輪家など各家から崇敬されて、社殿の改修など手厚く行われて来ました。
明治元年、菅生神社の例祭、7月19日の夜に、菅生川に数前の紅提灯をつけた三層のほこ舟の中から、空には手筒花火を、水中には「金魚花火」を放ったのが金魚花火の始まりとされます。

菅生川は江戸時代には舟運による輸送が盛んに行わていれました、殿橋上流には桜の馬場土場や満性土場などがあり、大量の荷物行き来し、六地蔵、唐沢、菅生周辺などは活気に満ちていました。
菅生川の南北の往来には殿橋と福島の渡、菅生の渡、吹矢の渡が用いられ、ほこ舟や見物用の小舟を出す場所には困らない状態だったそうです。

菅生祭の花火の特徴は、先述した通り、水の上を花火が遊泳する「金魚花火」。この花火、どういうものかというと、乾燥した葦(あし)の茎を、一方だけ節を残して15cmくらいに切断して底付きの筒を作り、火薬を詰めるというもの。
これが水上に浮くよう、節の方に麦わらを2,3cmに切って入れ、綿くずを少し詰めて火薬を入れます。これを10本くらい束ねて紙で巻くとできあがり。火をつけ水に放つと、火薬の噴出力で水上を泳ぎ回るように移動します。最後には、束ねた紙が切れ、それぞれの筒は四方に泳ぎ回ります。この様をたとえて金魚花火というそうです。

現在では紙管に発砲スチロールを入れて作るそうです。また、登場した当時、黒色火薬を使っていたことから、木炭の燃え色(暗い橙色)でしたが、現代の金魚花火は色火薬を使うので、より華やかな金魚花火になっているとのことです。

菅生川原では、すでに文化・文政の頃、打ち上げ、仕掛け、金魚、手筒などさまざまな花火が作られ、打ち上げられていました。今でも岡崎は花火の盛んな土地です。管理人はニュースでしか金魚花火を見たことがありませんが、一度本物を見てみたいものです。



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